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日記(2022.06.06)

自分の中の倫理感と、家族愛 どっちを優先するか、の秤


ゴーストワイアーTOKYOの動画みていて
上司から ここを出るなら呪い殺せ、いわれて 誰も呪わず会社で死んだ人がいました
地獄少女ニ籠をみていて
町で孤独な少年の無実を守ろうとした家族の死を迎えて我に返り、
自分が守ろうとしていた弱者を
視界から、社会から消そうとした人がいました

見ず知らずの他人を血縁のためにないがしろにするかどうか、
というテーマがなんとなく両方にある気がして対比しちゃいました

ゴーストワイアについては
他人を呪わず、倫理観を優先した人が閉じ込められたのが会社、っていう場所にしている演出からし
自分の倫理観をないがしろにしないことは「仕事」をモチーフにしてるのかなって。

おおよその人は自分の倫理観のとおりに行動したいっていうのが一般だと思うけど
この前も記したみたいに、その時その時によって
価値観やものの見方、優先したいものは変わると思うから
なんともいえないなぁとも思う

たとえば、ちょっと前に自分自身の体験で
ああもう眠い!明日は守るべきたいせつな仕事があるから早く寝ないと。
でも寝ちゃったら父さん母さんや嫁、兄弟姉妹が死ぬくらい困る-------
みたいな状況を体験し、ちょっと考えてたところに
ゴーストワイアTokyoのサブクエストの動画でそういうのをみて、
倫理観→仕事と置き換えた見方をしたところ
自分自身数年前からそんなに「自分じゃなきゃいけないような仕事」はしてないことが多いな、と思うから
自分の仕事を度外視して
身内の声をきいて力になるのはアリだと思った、という話

呪われて、仕事場で誰も呪わず、家族に会いに行けないゴーストワイアの彼も
新しい怨みを生まないように呪い殺しを止め、
自身もニンゲンとして誰も呪わずに死んだ閻魔あい
どちらも倫理を守っていると思うし、自分も同じように行動したいと節々で思うんだけど

年々仕事をするようになり、それが年輪みたいに重なった今では
自分じゃなきゃいけない倫理は、今までどおり守る一方で、
自分じゃなきゃいけない、とは限らない仕事は守らずとも
身内のために労力や時間を割こう、みたいなことを頭の片隅で考えるようになった

とはいえ
冒頭で挙げた後者の飯合蛍の例みたいに
身内が公益のために死んでしまったから
その公益で守られる層が現れないように問題を解決しようというのは
身内を愛する手段として、もちろん大げさだと思う
たとえば、身内が
村ぐるみのいじめを防ぐ活動で死んじゃった、
戦争が起こらないようにする活動で死んじゃった、
コロナや原発による汚染が蔓延しないようにする活動で死んじゃった、
地震津波が起きないようにする活動で死んじゃった
それぞれ、それをなくすことはできないと思うし
仮に、それを神の力でなくすことができたとして。
身内のためになった、とはなんか思えそうにないし

倫理、仕事は必要な存在とした上で、その中でも身内を愛する方法を
会社の中で私も誰かに呪われて悪霊になりながら
ゴーストワイアーの彼よろしく、悩み続けたい